「ミュージカル界のプリンス」と呼ばれ、その圧倒的なパフォーマンスで多くの人を魅了する山崎育三郎さん。
2025年の日本ダービーでは、山崎育三郎さんが国歌斉唱すると誘導馬が聴き入り、その後馬のテンションが上がったように見えたと話題になりました。
2024ミュージカル年の甲子園開幕戦、阪神タイガース対広島東洋カープ戦でもその美声を披露し、しかも始球式で素晴らしい投球を披露。

実は野球少年だったんですね。
ミュージカル俳優としても29歳まで華々しい活躍をし、それ以降はテレビや映像作品など舞台以外のジャンルでも活躍しています。

「下町ロケット」「エール」「リエゾン-こどものこころ診療所」など、多くの話題作に出演!
その育三郎さんの実家が港区高輪の豪邸で、兄弟全員が留学経験のあるエリートと言われています。
私生活では2015年に元モーニング娘の安倍なつみさんと結婚し、今では3児の父。
そんな羨ましい限りの人生を送ってきているように思える育三郎さんですが、実は、ヤングケアラーとして過ごした時期があるそうなのです。
今回は、山崎育三郎さんが育った家庭環境や、兄弟の学歴・職業と、ヤングケアラーだった頃の状況を紹介していきますので、ぜひ最後まで読み進めて下さい。
- 山崎育三郎の実家は港区高輪の豪邸だった?
- 山崎育三郎の母親は離婚後岡山でヤギと暮らす?
- 山崎育三郎の兄弟がすごすぎる!学歴・職業を全員紹介
- 山崎育三郎が育った家庭環境と教育方針がエリートすぎた
- 山崎育三郎はヤングケアラーだった
山崎育三郎の実家は港区高輪の豪邸だった?
山崎育三郎さんの実家は港区高輪にあります。
母親が歌が好きでギターやピアノも弾き、みんなで歌ったりもしたそうです。
しかも、3世代8人という家族構成。

これだけでも豪邸を想像してしまいますね。
育三郎さんは好きな野球をやらせてもらい、レッスン代の高い音楽教室にも通わせてもらっています。
このようなことから、「かなりお金持ちなのでは?」と言われていますが、果たして、どうなのでしょうか。
港区高輪はどんな場所?幼少期
高輪といえば港区を代表する高級住宅街です。
最寄りの駅は、「品川駅」「高輪ゲートウェイ駅」「泉岳寺駅」で、白金台・恵比寿・広尾・麻布十番・六本木といったおしゃれな街に囲まれています。

「高輪ゲートウェイシティ」すごいですね!
大都会でありながら泉岳寺など由緒ある寺社が多く、江戸時代の大名屋敷があった場所が公園になったりもしているため、緑豊かなエリアでもあります。
そんな高輪での山崎育三郎さんの幼少の頃は、野球少年でした。
引用:ステージナタリー-https://natalie.mu/stage/column/523674
「6年間高輪クラブっていう野球チームに所属して、一応全国ベスト8まで」
引用:スポニチ-https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/05/30/kiji/20240530s00041000245000c.html
そしてもともと、引っ込み事案でおとなしかったそうなのですが、幼稚園のときに「アニー」を見て感動し、CDを買ってもらい耳コピで歌っていたといいます。
それを聞いた育三郎さんの母親が、「自信に繋がれば」と音楽教室で歌を習わせてくれたそうです。
引用:インスタグラム-https://www.instagram.com/ikusaburo_yamazaki/
母親が歌が大好きで、学生時代はバンドを組んでいたというほど。
家では母親がピアノやギターを弾き、みんなで歌ったりもしたそうです。
小学3年の時、母と二人のハーモニーで童謡全国コンクールを受け、審査員特別賞を受賞した。
引用:毎日キレイ-https://mainichikirei.jp/article/20241017dog00m100006000c.html
そして小学6年の学芸会で主役に選ばれ、人生初のミュージカル「人間なりたがった猫」に出演。
その後1998年山崎育三郎さん12歳のとき、アルゴミュージカル「フラワー」で主演し、「野球でなく、この世界で僕はいきていきたい」と、ミュージカル俳優になることを決意したそうです。
レッスン代は1時間5万円?お金持ちと噂される理由
育三郎さんが通っていた音楽教室というのが、1時間のレッスン代が3万から5万と言われています。

なんといっても、高級住宅街・港区高輪。
次男の令二郎さんも、幼少期にバイオリンを習っていたといい、そして兄弟4人とも海外留学をしています。
これは、相当なお金持ちでないと無理な話ではないでしょうか。

父親は大手の新日鐵に勤めていたとも言われていますが、、
実家は三世代の家族構成
山崎育三郎さんは幼少の頃、港区高輪で三世代の8人で生活をしていました。
父方の祖父母と両親と、そして男四兄弟です。
4兄弟の三男が育三郎さんなのですが、他の兄弟も順番通りの数字が入った名前です。
- 4歳上の長男・祐一郎さん
- 2歳上の次男・令二郎さん
- 本人の三男・育三郎さん
- 2歳下の四男・厚四郎さん
そしてそれぞれ、社長・実業家・経営者という凄い一族なのです。
山崎育三郎の母親は離婚後岡山でヤギと暮らす?
山崎育三郎さんの母親は、育三郎さんが高校2年の留学中に離婚しています。
離婚後は母親の実家である岡山県に戻りました。
その実家というのが、超豪華でセレブと話題に。
広大な敷地内には森のような庭があり、ヤギやアヒルがいる、、。

なぜそんなに大きな実家なのでしょうか?両親の離婚についても気になりますね。
両親はいつ離婚した?きっかけと背景
高輪で一緒に生活をしていた父親方の祖父母は、育三郎さんが小学校の時に患った脳梗塞がきっかけで、祖父は認知症になって言葉を伝えられず、祖母は右半身不随で車椅子生活だったそうです。
育三郎さんの父親は転勤が多く高輪の家にはいないことも多かったそうで、母親が数十年間ほぼ1人で介護をしながら子育てをしてきたといいます。
当時の祖父の状況はキングコングのように暴れ回って物を壊すこともあったとか。
やがて、長男と次男が留学して自立、育三郎さんが高校2年で留学をするタイミングで、2歳下の四男も高校入学とともに寮生活が始まり、母親は本当にたった1人での2人の介護生活が始まってしまいました。
母は精神的にも肉体的にもかなり追い込まれて、留学中の僕に「私、だめかもしれない」と電話してきたこともあります。
引用:毎日新聞-https://mainichi.jp/articles/20210311/k00/00m/040/156000c

父親は北海道へ単身赴任中、、。
そして両親は離婚、育三郎さんが東京に戻ると、祖父母と3人で生活をすることになったそうです。
離婚後母親は岡山の実家へ!自然に囲まれた生活とは?
育三郎さんの母親は、離婚後に岡山の実家へ戻りました。
その岡山の実家というのが、2016年6月4日放送の「メレンゲの気持ち」で公開され、超豪華でセレブと評判になりました。
引用:DAILYMOTION-https://www.dailymotion.com/video/x7tj06x
広大な敷地内には森のような庭があり、ピザ窯があり、木製ブランコがあり、ヤギやアヒルも飼っています。
ヤギの名前は「ユキちゃん」、ユキちゃんの子供が「ジュンくん」。
引用:DAILYMOTION-https://www.dailymotion.com/video/x7tj06x
育三郎さんの話では、母親が「ハイジになりたい、自然とともに生きていきたい」と言ってこうなったといいます。

確かに「アルプスの少女ハイジ」には子ヤギのユキちゃんが出てきて、ハイジは大きな木製ブランコで遊びます。
そして、長男・祐一郎さんがかつて母方の祖母について話した内容によると、大富豪は間違いないようです。
祖母は一代で大会社を築いた経営者で「よく遊び、よく学べ」と教えられた。
引用:EO Checker-https://www.ceo-checker-jp.com/ceo-detail/94.html
リビングがこちらです!
引用:DAILYMOTION-https://www.dailymotion.com/video/x7tj06x
山崎育三郎の兄弟がすごすぎる!学歴・職業を全員紹介
ここからは、山崎育三郎さんの兄弟を紹介いたします。
兄弟全員が留学経験があり、今では社長、実業家、経営者。
野球をやっていたのは、育三郎さんだけではなく厚四郎さんも。
令二郎さんは、元ラガーマンです。
音楽も育三郎さんだけではなく、令二郎さんはバイオリンを習っていたそうです。

とにかく、すごすぎる4兄弟です!
【長男】山崎祐一郎は東大並みの学歴とIT企業の社長
引用:株式会社メタップスホールディングス-https://metaps.com/ja/company
山崎祐一郎さんは1981年10月18日生まれ。
高校3年でアメリカに留学しアメリカ のカリフォルニア大学 バークレー校を卒業。
大学2回生の時には、2年間休学し衆議院議員の公設秘書をしています。
大学卒業後ドイツ証券株式会社に入社し、4年後に退社。
そして2011年に京都大学経営管理大学院修了というちょっとすごい方です。

京大は東大に肩を並べる日本の最難関効率大学の1つと言われています。
2011年、イーファクター(2007年に佐藤航陽氏が創設、後のメタップス)に入社、取締役CFOに就任し、2018年にはメタップスの取締役社長に就任しています。

ですが、2022年には顧客のクレカ情報流出がありました。
2023年、メタップスは株式会社Odessa12に吸収合併され消滅、株式会社Odessa12が存続し社名を「メタップスホールディングス」に変更、山崎祐一郎さんが代表取締役社長に就任しました。
事業内容はこのようになっています。
引用:株式会社メタップスホールディングス-https://metaps.com/ja/company
- クラウドとAIを中心にしたインキュベーション
- テクノロジー企業への投資
会社は、渋谷駅直結、地上47階の「渋谷スクランブルスクエア」内にあります。
【次男】山崎令二郎は元ラガーマンで実業家
引用:note-https://note.com/reijiroyamazaki/n/n5ce44a4163e2
祐一郎さんの2歳下の令二郎さんは、現在は株式会社チッピーの代表取締役です。
少年時代の令二郎さんは、ラグビーに取り組んでいたそうです。
そして世界で一番強いラグビーの国、ニュージーランドへ留学。

ニュージーランドといえば、オールブラックス!
「兄がバークレーに留学し英語を学んでいた姿に憧れ、大学には進学せずニュージーランドに留学しています。」
引用:KEY PLAYERS-https://keyplayers.jp/archives/5845/
2年間U21のクラブチームに所属した後、帰国するタイミングで現地のスポーツ用品を日本で売る手伝いを始め、その経験を生かして2006年(23歳)にアールキューブを創業。
引用:KEY PLAYERS-https://keyplayers.jp/archives/5845/
最初は音楽家をはじめとするアーティストの派遣事業をスタート。
私は幼少期からバイオリンを習っていましたし、弟は音楽大学に進んでたりと、音楽の世界は自分にとって身近な存在でした。
引用:KEY PLAYERS-https://keyplayers.jp/archives/5845/

音楽大学に進んだ弟というのが、山崎育三郎さんですね。
その後コロナ過もあり派遣事業の仕事が激減、かねてより構想していたウェディング事業「会費婚」を展開しました。
そして2020年、株式会社みんなのウェディング・株式会社アールキューブ・株式会社フルスロットルズの3社統合により「株式会社エニマリ」を発足を発表しますが、同年9月に令二郎さんは代表取締役を退任し、シンガポールへ移住。
2023年に帰国し、株式会社PONZU(現チッピー)を創業、代表取締役に就任しています。
事業内容は、例えば、レストランで美味しいご飯を食べたとき、ホテルや旅館で素敵なじかんを過ごせたとき、宅急便の配達員さんが親切だったとき、そんなときに、ありがとうの気持ちと一緒にデジタルチップを送ることができるサービスを提供している会社だそうです。
【三男】山崎育三郎はミュージカル界のプリンス
引用:ステージナタリー-https://natalie.mu/stage/column/523674
育三郎さんは、1986年1月18日生まれ。
野球少年でしたがミュージカル俳優になることを決めて、2001年に東邦音楽大学附属高等学校声楽科に入学。
2002年、アメリカ、ミズーリ州にあるノースカンティー・ハイスクールへ語学留学。
帰国後は学校と祖父母の介護の両立を続け、2005年3月に卒業し、東京音楽大学声楽演奏家コースに進学しました。
大学在学中にミュージカル「レ・ミゼラブル」のマリウス役に抜擢されると、大学を中途退学し、2007年の公演で正式デビューしました。
29歳までに「レ・ミゼラブル」「モーツァルト」「ミス・サイゴン」「エリザベート」と、目標にしてきた4作品への出演を実現し、「プリンス」の愛称で親しまれました。
その後はテレビドラマにも進出。
歌手活動にも力を入れ、2019年、イチローの引退試合では日米両国歌を歌唱。
2020年の「第71回NHK紅白歌合戦」には、朝ドラ「エール」のスペシャル企画で紅白出演をしました。
そして最近では、日本初のオリジナルミュージカル「昭和元禄落語心中」を企画し公演しています。
【四男】山崎厚四郎はブランド戦略を担う若手経営者
引用:GFD-https://gfd.jp/
山崎厚四郎さんは、ブランドシェアリング事業をする株式会社グッドフードデザインの代表取締役です。
キッチンの稼働率を上げ収益を最大化させるレストランや飲食店向けの、ブランドシェアリングサービス。
高校時代は、香川県の尽誠学園野球部だったと育三郎さんが話していますが、確かに、2005全国高校野球選手権香川大会の尽誠学園のメンバーに厚四郎さんの名前がありました。
【スコアラー】山崎厚四郎(3年)
引用:四国新聞-https://www.shikoku-np.co.jp/feature/baseball/2005/summer/local_tournament/40profile/jinsei.htm
そして、山崎育三郎さんの話によると、やはり四男・厚四郎さんも留学しているようですね。
「一番上の兄が、アルバイトでお金をためて短期留学したことがあって。次男も留学して、僕も行って、弟も行って…4人兄弟の3番目なので」
引用:ザテレビジョン-https://thetv.jp/news/detail/242691/p3/
留学の時期は不明です。
そして、一時期は次男・令二郎さんの会社で就業していたようですが、株式会社グッドフードデザインを創業しました。
引用:Wantedly-https://www.wantedly.com/companies/company_4794284
山崎育三郎が育った家庭環境と教育方針がエリートすぎた
引用:ステージナタリー-https://natalie.mu/stage/column/523674 右端が育三郎さん
男4人の幼少期は「ご飯の取り合い」で「賑やかで喧嘩ばかり」だったといいますが、母親がすごく愛情表現をする人で、自身をつけさせる言葉や環境を用意してくれたそうです。
それが自己肯定感の高さに繋がり、外に出たときにも強い気持ちで挑んでいけるといいます。
結果僕は「ミュージカル界一のポジティブ人間」と言われてまして(笑)、落ち込んだりすることも基本ないんですよ。
引用:VERY-https://veryweb.jp/column/484521/
音楽と語学が生活の一部だった幼少期
育三郎さんは中学3年で変声期を迎えるまでは、舞台やテレビに出演していました。
ですが、変声期を迎えてことによってオーディションに受からなくなり絶望的に。
そしてミュージカル俳優を志すのであれば、クラシックや声楽を基礎から学ぶように助言を受け、音楽系の高校に進むことを決心し、受験勉強とともにピアノ演奏を猛特訓したそうです。
高校に入学すると、今度はアメリカへ語学留学。

ミュージカル俳優になる以上、英語必要ですよね。
最初は英語が全く話せないことなどをからいじめの対象になったこともあったそうですが、意を決して参加したダンスパーティーで中央に飛び出て無我夢中でダンスを踊ったところ、翌日から人気者に。
引用:ステージナタリー-https://natalie.mu/stage/column/523674 中央下が育三郎さん

さすが、ポジティブ!
2003年5月には、全米高校生クラシック声楽コンクールのミズーリ州で上位入賞します。
その後帰国し学校に戻り高校を卒業し、東京音楽大学声楽演奏家コースに進学します。
まさに、音楽と語学が生活の一部だったようです。
家族全員が【挑戦】を応援し合う
育三郎さんは、母親の与えてくれた環境のおかげで兄弟4人が全員自身過剰だといいます。
みんな気持ちが強くて個性もそれぞれ違う。
子供の頃は喧嘩ばかりだった4人も、大人になった今は仲良しで「4人で集まってご飯を食べたり、何かあると集まって話す」といいます。
「ライバル関係というか。ちゃんと仕事しているかってのを、お互いに確かめ合っています」
引用:ABEMA TIMES-https://times.abema.tv/articles/-/10147410?page=1
お互いを尊重し、応援し合っているようですね。
山崎育三郎はヤングケアラーだった
引用:毎日新聞-https://mainichi.jp/articles/20210311/k00/00m/040/156000c
山崎育三郎さんはとても恵まれた生活をしてきたと思われがちですが、実は、ヤングケアラーだった時期がありました。
育三郎さんが留学中に両親が離婚し、母親は実家の岡山県、父親は単身赴任で北海道、3人の兄弟は留学や寮生活。
育三郎さんがアメリカから東京に戻ると、祖父母との3人での生活が始まりました。
僕は、母の戦争のような日々を子供の頃からずっと見ていたし、親元を離れて米国で過ごす中で自信と自立心が生まれていたので、祖父母の介護を決断しました。当時は「子育てしながら介護もしてきた母に比べれば、数年間なら僕1人でも大変じゃない」と思っていたんです。
引用:毎日新聞-https://mainichi.jp/articles/20210311/k00/00m/040/156000c
ですが、そうではなかったようです。
高校留学から帰国後に祖母の介護
1年間の留学から東京に戻った育三郎さんは17歳。
祖父母2人の介護は、やはり大変だったようで、、、
「ずっと(介護)やってると、孫にやってもらってる、って感覚もなくなってきて。お手伝いにきてくれる人、みたいな感覚に。(料理を)作っても、手でバーンとはじかれるし、『ありがとう』も言わなくなるし。学生の僕が二人を看る…っていうその時間が人生で一番しんどかったです」
引用:スポニチ-https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/04/15/kiji/20220415s00041000529000c.html
しんどかったとき育三郎さんは、「何で自分が見なきゃいけないんだ」と思ったこともあるし、「祖父母に対してあまり良くない言葉をかけたこともある」と言います。
乗り越えられた背景には、親友2人の存在がありました。
親友たちの支えと芸能界へ進む決意
山崎育三郎さんは、2022年4月14日放送のNHK「SONGS」に出演した際、高校・大学時代の介護生活を振り返り、つらかった介護の日々を支えてくれたのは、中学時代からの親友2人だったと話しています。
祖父母を介護施設へ連れて行ってくれたり、買い物や食事のサポートも。
そして時には、祖父母と鍋料理を囲囲んで和気あいあいとした時間を過ごすこともあったそうです
VTR出演した親友によると、
「夜中、彼がトイレのお手伝いをしてあげたり、高校生とか大学1、2年くらいの時はやってあげていましたね」
「本当はつらかったと思うんですけど、つらさも笑いに変えながら頑張っていたんだろうなっていうのを今改めて思いますね」
引用:スポニチ-https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/04/15/kiji/20220415s00041000529000c.html
育三郎さんは当時を思い出し、「2人が来ることでいつもの友達といるノリになれた瞬間というのが一番励まされた」と話し、さらにこのように。
「彼らの存在で乗り越えられたことがたくさんあって、ほんとに感謝しています。12歳からいまだに年末年始必ず会う。1回も欠かしたことがない。本当に大親友」
引用:スポニチ-https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/202/04/15/kiji/20220415s00041000529000c.html
育三郎さんは2人の介護をしながらも、2004年2月にはMusic Power Station東京大会出場、3月にはソニーミュージックSDオーディションで約2万人の中から最終10名に選ばれています。
そして東邦音楽大学附属東邦高等学校声楽科を卒業後、東京音楽大学声楽演奏家コースに進学します。
先述しましたが、育三郎さんは、12歳のときにミュージカル「フラワー」で主演し、ミュージカル俳優になることを決意しています。
引用:ステージナタリー-https://natalie.mu/stage/column/523674
初めて自分を解放することを知ったと言い、このように。
「たくさん呼吸ができる」
「自分らしくいられる世界を知った」
「こんなに美しい場所はない。ここにいたい」
引用:ステージナタリー-https://natalie.mu/stage/column/523674
育三郎さんは、親友の存在とミュージカルへの思いを介護生活の支えに、大学在学中の19歳で「レ・ミゼラブル」のオーディションに合格し、マリウス役に抜擢され、デビューすることになります。
山崎育三郎の実家は高輪の豪邸?兄弟全員エリートで現在の姿も紹介!【まとめ】
今回のまとめです。
- 山崎育三郎の実家は港区の高級住宅街の高輪にあり、かなりお金持ち。
- 山崎育三郎の母親は離婚後、ヤギやアヒルを飼う広大な敷地で超豪華な岡山の実家で暮らしている。
- 山崎育三郎の兄弟は、全員が留学経験があり、それぞれ社長・実業家・経営者。
- 山崎育三郎は、学生ながら1人で祖父母の介護をするというヤングケアラーの時期があった。
いかがでしたでしょうか?
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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